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2018年10月27日 (土)

** イザナギイザナミ(1)**

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先月になりますが、日本神話にある「国作りの島」として有名な兵庫県淡路島でのイベントを行って来ました。

かつてイザナギ(伊奘諾)イザナミ(伊邪那美)の命が海中に鉾(ほこ)を差し込み、引き上げた時滴った雫から「自凝島(おのころじま)」が生まれ、日本の祖となったとの神話の残る神々の島、淡路島。

今回のは弥生以降の日本と弥生そのものに関しての確認だったように思います。
また、常に行なっている縄文の解放と弥生の帰還を促すイベントとは違い、2日間体調に来るような重さはほとんど感じられませんでした。

それでも場所によってはピンポイント的に感じる重さもある事はありましたが、後を引く様な、纏わりついてくる様な、おかしな体感は殆どなく済みました。

さて、淡路島はまさに弥生以降の人類が持つ煩悩と執着を基として現行社会(3次元世界)が生まれた場所という事を確認できる場所でもありました。

封印された縄文の苦悩や悲しみと言うものはあまり感じる事は無く、あっけらかんとした緩ささえ感じました。

24年前にこの地を揺すった大地震(人為的な地震であろうがなかろうが)が何を物語っているのかと思ったのですが、これにも大きな意味があったのでしょう。
海峡を隔てた神戸の街は、その巻き添えを食った形だったように思います。

巻き添いであってもこの地に沈殿していったカルマも、同時に解放された事もまた確かだったでしょう。
かつての神戸は、明治に入ると、ある一角が外国人居留地となって行き、特に欧米の「ビジネス」が流入し、今までになかった格差が始まる場所としてカルマを貯め続けてきました。

それまでの日本的な「商い」システムで動いていた日本経済に、欧米的な資本主義の波をもたらした、いわば始まりの地でもあったのでしょう。
特に英国資本による新経済システムはここから始まったと言っても良いのではないかと思うのです。

しかし首都が東京になるのと同時に資本主義の中心は東京にその拠点を移しました。
そのため神戸に溜まり続けた金融というカルマは、ある時点で止まった事になります。

それでも、そのカルマの解放があれほどの凄まじさを呈したのであれば、今の首都東京が迎える「抑圧されてきたカルマの噴出と解放」がどれほどのものになるかは、もはや想像すらできないと感じていまします。

しかし淡路はあの震災により、弥生の役割の終了のベルだったのではないかと思うのです。

縄文を駆逐した弥生は、今までの本来の日本としての土地と日本人である縄文を完全否定し、その片鱗も残す事無く排除すると、その地には自然と共に生きてきた縄文が存在しなかったように真っ新な更地に整備され、その上に弥生が始まった事になります。

新しい国を造ると言う意味で、それを神話化したのがイザナギ(伊奘諾)イザナミ(伊邪那美)伝承ではなかろうかと思うのです。

彼ら2神が着る装束、髪型、アクセサリー、そして何より縄文には存在しなかった無かった矛と言う「武器」が登場します。
腰にはご丁寧に剣さえ下げています。

つまり彼ら2神の概念こそ弥生を象徴するものであり、その彼らが新しい国を造ったと言う事は、縄文を排除し平定し弥生を興したと見るのが辻褄が合う事だと思うのです。

つまり「国作り」の神話は、弥生の国を作ると言う事だったのでしょう。

少し話は変わりますが、北海道の小樽に「龍宮神社」と言う神社があります。
この神社があった場所にはかつてアイヌ(縄文)の重要な祭場であった「イナホ」がありました。

わざわざその場所に(その上に)神社を建てたと言うことと、縄文を排除し、その上に新しい文明や文化を重し代わりに乗せ、縄文を強制的に封印してきた事が繋がるなと感じます。

これと同じ事は遠く南米にもいくつか残されています。
古いアステカや、アンデス、インカ文明がスペイン人の侵略を受け、インディオたちの古代から続く神々の祭場の、その真上にキリスト教会を立ててきた経緯を見ても、同じことが世界各地で起こっていた事が伺えます。

いくらでも土地が余っている古い時代、わざわざその場所に、しかも侵略者たちが信じる自分たちの神を「どかり」と乗っけてしまう必要がどこにあるのかと考えれば、その場所にある高い周波数のエネルギーを覆い隠すためだっとの考えもあながちズレた事では無いのかなと思うのです。

次回に続く










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